22歳という若さでBリーグを代表する選手にまで成長を遂げた河村勇輝選手。
2022‐23シーズンはレギュラーシーズン最優秀選手賞(MVP)、レギュラーシーズンベストファイブ、最優秀新人賞、レギュラーシーズン最優秀インプレッシブ選手(MIP)、アシスト王(B1)、ココロ、たぎる。賞を受賞して個人6冠と大活躍した1年でした。
Bリーグ史上初の新人賞とMVPのダブル受賞という快挙となりました。
高校生のときから世代を代表する選手で全国に名前が知られていた河村選手ですが、どのような活躍をしてきたのでしょうか。
幼少期のエピソードやプロバスケットボール選手になるまでの経歴について振り返っていきます。
目次
河村勇輝のプロフィール
河村選手は山口県柳井市出身です。2001年5月2日生まれで現在22歳とまだまだ若くこれからが楽しみな選手です。
河村選手には2人の姉がいて、3人姉弟の末っ子として育ちました。
両親は教員をされていて中学時代はお父さんがバスケットボール部の顧問だったそうです。
河村選手も両親の姿にあこがれてなのかはわかりませんが、中学生のころは体育の教員になりたかったとのことです。
河村選手が高校生にバスケットの指導をしている映像を見たことあるのですが、わかりやすいように丁寧に教えていたのがとても印象的でした。
教員という道を選んでいたとしたらきっと素晴らしい先生になっていただろうと感じました。
河村選手は日本代表に選ばれて活躍していますが、チーム内でも最も身長が低く外国籍選手といった身長の高い選手の隣にいると大人と子供のように見えてしまう場合もあります。
Bリーグ全体でも河村選手は身長が低い選手ですがいったい何センチあるのでしょうか。
河村選手のリーグ登録されている身長、体重は172cm、68kgとなっています。
Bリーグで最も身長が低い選手は今シーズン新潟でプレイした富岡大地選手の164cmですが、河村選手の身長172cmというのもバスケットボール選手のなかでとても小さい部類に入りますね。
バスケットボールの世界大会では170cm台の選手というのは希少です。
190cm、2mといった選手に囲まれる環境でも活躍できることは本当にすごいことです。
河村勇輝の小学生時代
河村選手がバスケを本格的に始めたのは小学校2年生のときからです。
バスケ好きの父親の影響もあって河村選手が6歳のときには庭にバスケットゴールが設置されていたとのことです。
6歳からバスケットボールに触れることになり、河村選手にとって子供のときからバスケットボールは身近な存在でした。
しかしバスケットに夢中になるまでは野球が好きで、野球のクラブにも見学に行ったことがあるほどでした。
子供のころは父親とキャッチボールをよくしていたようです。
クラブに入って野球をしようと考えていて野球の道具を買いにいった河村選手でしたが、店に並んでいたバスケットのユニフォームを見てバスケットがやりたくなり、小学校2年生のときに地元のミニバスケットボールチームに入りました。
河村選手が所属していたミニバスケットボールクラブは地元でも有名で指導者にも恵まれたいい環境だったとのことです。
河村選手は小学校4年生のときに飛び級で上級生と一緒に練習するようになり、試合にも出場し活躍するようになりました。
小学4年生のとき大事な試合で負けてから河村選手はバスケノートを書き始めるようになり、毎日500本のシュート練習をかかさなかったといいます。
小学校時代、毎日欠かさずバスケットの練習をしていた河村選手にもあこがれていた選手がいました。
バスケットをしていた父親がマイケル・ジョーダンが好きだったこともありジョーダンのプレイやヒストリー映像をよく見ていたとのことです。
また日本バスケ界のレジェンド田臥勇太選手を見て育ち、今のパスの感覚というのも高校時代の田臥選手のプレイを見て感覚を得た部分があるそうです。
ジョーダンや田臥選手といったトップ選手のプレイを見て練習に励んだ河村選手は、小学6年生のときに全国大会に出場して優勝します。
ミニバスにはルール上3ポイントシュートがありませんがこのころにはすでに3ポイントシュートエリアほどのロングレンジからきれいなワンハンドシュートを決めていました。
この時からシュートがとても上手な選手でした。
河村勇輝の中学生時代、柳井中学校での実績は?
河村選手は地元の柳井市立柳井中学校に進学し、1年生のときからスタメンとして活躍しました。
小学校のときと同様に中学校でも全国大会に出場しています。
河村選手が入学した当時の柳井中学校は県大会で1、2回戦まで勝ち上がるチームでしたが2年生の夏には県大会を優勝するまでに成長し、全国大会出場をかけて中国ブロック大会に出場しました。
全中で準優勝する岡山代表の玉島北中学校に予選リーグで敗れ2年生のときは全国大会の出場を逃しています。
3年生のときは県大会を制し、中国大会に進み1年前に予選リーグで敗れた玉島北中学校に勝利して予選リーグを突破し、決勝トーナメントでも勝ち進み優勝して無名の公立中学校を全国大会に導きます。
全国大会では予選リーグで29得点、36得点をあげてエースとしての働きを見せていた河村選手でしたが、決勝トーナメント1回戦で福岡第一高校でチームメイトとなる小川麻斗選手率いる西福岡中学校に48対75で敗れてしまいました。
西福岡中学校との試合では19得点を記録していますが、エースとしてシュートがなかなか決まらず悔しい結果に終わりました。
その後全国大会での試合を見ていた福岡第一から誘いがあり、河村選手は地元に残るのか福岡第一に行くのか決断に悩むことになります。
当時の河村選手はバスケで日本一になることではなく、バスケと勉強を両立させることを目標にしていて塾にも通っていたそうです。
姉と同じように地元の進学校に入って教育系の国立大学に進学して体育の先生になろうと考えていました。
全国大会で敗れた西福岡との試合ではシュートが入らず、思うようなプレイができなかった河村選手は上を目指した中学生最後の大会で心残りのようなものを感じ、このまま地元の進学校に進むべきか、日本一を目指してバスケをやるのか迷いが生まれていたとのことです。
地元の高校に進むのか地元を離れバスケで日本一を目指す道に進むのか長い間悩んだ末に出した決断は福岡第一高校への進学でした。
河村勇樹の高校時代
小学校、中学校と全国大会に出場していた河村選手でしたが、河村選手の名前が全国に知れ渡ったのは高校生のときです。
これまで全国大会に出場したことはあるといってもほとんど無名の選手でした。
高校入学後、河村選手は強豪福岡第一でも高校1年生のときからベンチ入りし夏の全国の舞台を経験します。
夏のインターハイは明成高校に敗れ、ベスト4という結果でした。
高校1年生の冬のウインターカップではスタメンとして1年生らしからぬ卓越したパスセンスとスピードを武器に活躍して注目されました。
しかし、チームは準決勝で福岡大学附属大濠高校に敗れてしまいます。
この試合で3ポイントシュートを10本放った河村選手でしたが1本も決めることができませんでした。
このときの試合でも悔しい経験をしますが、この試合を糧にのちの大きな成長につなげています。
昼休みには昼食を急いで食べて一人で黙々とシュート練習するなどバスケにすべてをささげました。
その後U-16、U-18の日本代表にも選出されアジア選手権に出場して世代を代表する選手となります。
高校2年生のときにはインターハイで中部大学第一に敗れてベスト4でした。
ウインターカップは福岡第一に2年ぶりの優勝をもたらす立役者となり、河村選手も2年生で唯一大会ベスト5に選出されました。
高校3年生のときにはキャプテンとして78人の部員をまとめ、インターハイは優勝、ウインターカップは決勝で福大大濠とのライバル対決を制し、2連覇を達成しています。
また天皇杯では千葉ジェッツと対戦し、プロ選手相手に21得点、10アシスト、6スティールを記録し憧れの選手だった富樫勇樹選手とマッチアップも経験しました。
憧れの選手の一人でもある富樫選手からは高卒でプロになってほしいと期待の言葉をかけられていました。
高校生ながら特別指定選手として三遠ネオフェニックスに加入!
ウインターカップ終了後、河村選手は高校3年生ながら2019‐20シーズンの1月から3月まで特別指定選手としてB1の三遠ネオフェニックスに加入しています。
Bリーグデビュー戦となった2020年1月25日の千葉ジェッツ戦で22分の出場で8得点、3アシストを記録して当時のB1史上最年少出場と最年少得点記録(18歳8か月23日)を更新しました。
三遠での数か月(11試合)で1試合平均12.6得点、3.1アシスト、2.0リバウンド、1.5スティールという見事なスタッツを残しています。
Bリーグ新人賞ベストファイブにも選ばれました。
デビュー2戦目では21点、3戦目は24点と出場した11試合中7試合で二桁得点をあげてアシストでも7アシスト、6アシストを記録する試合もありました。
試合がある日はニュース番組のスポーツコーナーで河村選手のハイライト映像が流れていたので見た方も多いのではないかと思います。
河村勇樹の大学時代
東海大学に進学!東海大学に進学した理由は?
高校生のときに特別指定選手としてBリーグでプロ選手と対峙する中で河村選手は今後活躍していくためには身体やバスケットIQといった部分をさらに磨いていかなければならないと実感したとのことです。
Bリーグでプレイして学んだ経験からバスケット環境だけでなくトレーニング環境も素晴らしい東海大学への進学を決めています。
また東海大学を指導する陸川先生のもとでバスケットを教わることでバスケットIQだけでなく人間としても成長できると感じたことも東海大学を選んだ理由とのことです。
東海大学には毎年全国大会のオールスターメンバーが集まってくる印象なので、それほど指導や環境といった部分が魅力的なのだと思います。
東海大学での2年間!成績は?
東海大学に入学した河村選手でしたが、コロナにおける自粛により数カ月にわたって思うように練習することができませんでした。
出鼻をくじかれた形になりましたが、自身のプレイや憧れの選手のプレイをチェックしたり戦術や連携などの話を聞きに先輩ポイントガードのもとに通いつめたりしてバスケットIQを磨いたとのことです。
また課題であったフィジカルを強化するためにトレーニングに励み、今後プロで戦っていけるような怪我をしない強い身体を作っていきました。
東海大学での1年目はインカレで優勝して高校につづき大学でも日本一になっています。
強豪東海大学でも1年生からすぐさまプレイタイムを獲得して1年目は主に途中出場してチームに貢献しました。
インカレでは1年生ながらBリーグで活躍する星野京介選手とともに3ポイント王に輝いています。
大学2年生のときにはリーグ優勝を果たしたものの、結果的に最後の大会となったインカレでは決勝で白鴎大学に58対63で敗れて準優勝という結果に終わりました。
主力選手にけが人が出たこともあって優勝することはできませんでしたが、河村選手はアシスト王に輝いています。
特別指定選手として2度目のBリーグの舞台へ!
大学1年生のインカレ終了後、東海大学から近い横浜Bコルセアーズへ特別指定選手として加入しました。
1年目の活躍があったからか相手チームに警戒された2度目のプロの舞台では、思うような結果を残せず主に得点の部分で成績を落としてしまいます。
1年目は11試合で1試合平均12.6得点、FG%は.389、3P%は.373でしたが、横浜での特別指定選手としての2年目のシーズンは16試合で1試合平均6.0得点、FG%は.277、3P%は.205でシュート成功率が低調な数字に終わっています。
それでもスティールは相変わらず素晴らしかったですしリバウンドやアシストの数字も伸ばしていてディフェンス面でも成長している姿を見せています。
東海大学でのトレーニング、身体作りの成果は河村選手の体つきを見ていればよくわかりました。
1年前と比べると肩周りや胸板、お尻の筋肉がよく鍛えられ身体の厚みが増していて安定感がある印象でした。
フィジカルといった部分でも周りと引けを取らないようになっていきました。
特別指定選手として3度目のBリーグの舞台へ!東海大学を中退しプロ選手に!
大学2年生のインカレ終了後に昨年と同じく横浜Bコルセアーズに特別指定選手として加入します。
大学1年生のときの悔しさを晴らすかの如く主力級の活躍でチームを引っ張りました。
1月にはキャリアハイの26得点を記録するなど平均14.4得点、8.4アシストの大活躍で月間MVPを受賞しています。
河村選手は3月に東海大学を中退してこのまま特別指定選手としてチームに残ることを発表しました。
2022年の4月17日の茨城戦ではキャリアハイの17アシストをするなどアシストの部分での活躍も目立ち、6試合連続で二桁アシストを記録した期間もあり、シーズンで10試合二桁アシストを記録しました。
得点やアシスト、リバウンドといった2部門の数字が2桁というダブルダブルを5試合で記録しています。
最終的には32試合に出場して(うちスタート6試合)1試合平均10.0得点、2.9リバウンド、7.5アシスト、FG%は41.8%、3P%は31.8%というスタッツを残しました。
東海大学を中退してプロになった理由は?
日本を代表するポイントガードになり、パリオリンピックに出場するという河村選手の目標をかなえるために大学2年生の2022年3月3日に大学を中退してプロの道むことを発表しました。
それに伴い東海大学を3月31日をもって中退しています。
東海大学での2年間でプロ入りへの準備が徐々に整ってきたように感じ、これからはプロという高いレベルの舞台で少しでも多くの経験を積み、自分を鍛えていきたいとの想いから大学を中退してプロ選手になることを決めたとのことです。
大学1年生、2年生のときに特別指定選手として在籍した横浜Bコルセアーズで特別指定選手として2021‐22シーズンも継続してプレイすることになりました。
その後、河村選手は2022‐23シーズンにプロ契約を結び、21歳でプロ選手になりました。
日本代表デビュー
特別指定選手としての2021‐22シーズンを終えた河村選手は、チーム最年少で日本代表に選出されました。
日本代表に選出されてからコンスタントに試合に出場しおもに試合の流れを変える活躍を見せています。
しかし8月14日にイランとの国際試合ではシュートを打てる場面でシュートを選択しない場面が見られトム・ホーバスヘッドコーチに声を荒げられベンチに下げられる場面もありました。
トム・ホーバスヘッドコーチは試合後の会見で河村選手についてリングを全然見ていない、パスばかりの選手になっていたと語っています。
日本代表では得点を取れる選手が周りに多くいるということで東海大学のときのようにパスを裁くという意識が強くなっていたのだと思います。
日本代表活動での経験をいかし、2022‐23シーズンではコーチやチームメイトも驚くような驚異の成長を遂げ、横浜Bコルセアーズを初のCS出場に導きました。
まとめ
小学校4年生のときの地区大会、高校1年生のときの福大大濠戦、大学1年生のときの特別指定選手としてのBリーグ2年目のシーズン、日本代表での試合といった悔しい経験を糧にして練習を重ね成長する姿が印象的でした。
自分自身の課題を把握してバスケットボールに真摯に取り組める姿がここまでの選手に成長させたのだと思います。
特に日本代表活動を経て、Bリーグトップの選手に成長した2022‐23シーズンは驚かされました。
河村選手はまだまだ若いので今後のさらなる成長と活躍に期待せずにはいられません。
今後の世界大会での活躍が楽しみです。