190cm近い身長から繰り出されるダイナミックなプレイと広い視野をいかした的確なパスを武器に日本代表でも活躍するテーブス海選手。
現在はBリーグで主力として活躍し、日本代表にも選ばれているテーブス選手ですが、どのような経歴をたどり日本代表に選ばれる選手になったのでしょうか。
この記事ではテーブス選手が日本代表になるまでの経歴についてまとめてみました。
目次
テーブス選手のプロフィール
身長:188㎝
体重:85㎏
出身地:兵庫県
生年月日:1998年9月17日
ポジション:PG
経歴:東洋大学京北高校→ブリッジトンアカデミー・プレップスクール→ノースフィールド・マウント・・ハーモン・プレップスクール→ノースカロライナ大学ウィルミントン校→宇都宮ブレックス(2019‐20~2021‐22)→滋賀レイクス(2022‐23)→アルバルク東京(2023‐24)
テーブス海選手は兵庫県出身で1998年9月17日生まれの24歳です。
日本代表として活躍が期待される大型ポイントガードで、ドライブからのダイナミックなプレイが持ち味の選手ですね。
ワールドカップでの活躍も期待されるテーブス選手は、カナダ人の父親と日本人の母親との間に生まれ、父親は元プロバスケットボール選手で現在は日本のバスケットチームのコーチをされています。
父親はカナダ出身ということもあって、家で話すときは英語を使っていてテーブス選手自身も日本語より英語のほうが話しやすいそうです。
弟のテーブス流河選手も将来が期待されている選手で兄と同じ京北高校からアメリカへ留学して、現在アメリカ・マサチューセッツ州のニューマン高でプレイしています。
テーブス選手はアメリカから帰国後に宇都宮ブレックスに所属し、Bリーグ入団後2020年に最優秀新人賞を獲得しました。
2022‐23シーズンの第20節仙台89ersvsとの対戦でリーグ史上196人目となるB1個人通算1000得点を達成しています。
今後の日本代表での活躍も楽しみです。
バスケを始めたきっかけは?
テーブス選手がバスケットを始めたのがいつなのか気になる方も多いと思います。
テーブス選手がバスケを始めたのは小学校の4年生のときです。そんなに早くも遅くもないという感じですね。
バスケを始めたきっかけは、友達がバスケをするようになって、誘われてバスケをするようになったとのことです。
テーブス選手は小4くらいまでサッカーが好きで、将来はプロのサッカー選手になるのが夢だったそうです。
テーブス選手の話によると、当時はバスケよりサッカーのほうがうまかったようです。
サッカーではなくバスケを選んだのはバスケットのほうがサッカーより楽しかったからというシンプルな理由です。
父親は元プロバスケ選手で現在もコーチをしていますが、バスケを勧められたことはなく友達との遊びの中で自然とバスケに熱中するようになったとのことです。
誰かに言われてやったり、嫌いになって途中でやめたりすることなく、子供のころの遊びの中で自分自身でたのしさを見つけ、それを何年も続けているところがいいですね。
バスケを始めてからは父親にバスケを教えてもらうことがあり、弟と3人で体育館で練習するようにもなったとのことです。
現役のトップレベルのコーチに教えてもらえるなんて魅力的です。
中学校はどこ?
テーブス選手は中学1年までインターナショナルスクールに入っていました。
インターナショナルスクールではシーズンスポーツ制で3カ月ごとに変わり、バスケやサッカーにも取り組むことができましたが、もっとうまくなりたいと思いから、バスケ1本に取り組めるように神戸市立本庄中学校に転校することを決めました。
本庄中学校のバスケットボール部はめちゃくちゃ強いというわけではありませんでしたが、父親が勧めてくれた指導者のいる本庄中学校に転校しています。
当時はワンマンチームでしたが、その時の指導者から周りを活かすことの重要性を教えられ、神戸市では優勝も経験しています。
高校は東京の名門、京北高校!
父親が兵庫ストークスから富士通レッドウェーブに移ることになり一家で東京に引っ越して、テーブス選手は関東の高校を進学先に選びました。
最も自分に合っていると感じた京北高校(現・東洋大学京北高校)への進学を決めています。
東京都の文京区にある学校です。
京北高校(現・東洋大学京北高校)は、インターハイ、ウインターカップでそれぞれ2回ずつ優勝している名門です。
2013年のインターハイでの優勝を最後に最近2、3年は全国大会出場を逃していますが、東京都の強豪校として知られています。
京北高校出身のプロ選手は、田渡修人選手や田渡凌選手、新川敬大選手などがいます。
田渡兄弟は京北の監督である田渡優コーチの息子さんで、田渡コーチも高校バスケットボール界で実績のある指導者です。
テーブス選手は1年のときからベンチ入りして活躍し、2年になったときにはエース級の活躍をしていましたが、2年の夏にチームを離れ、アメリカの高校に転校しました。
京北高校からアメリカへ留学!
テーブス選手が京北高校に在籍していた当時、アメリカに留学していた京北高校の先輩である田渡凌選手が夏休みや冬休みに日本に帰ってきて練習に参加してくれていました。
留学するにあたってアメリカに留学していた田渡選手の影響も大きかったそうです。
早い時期からアメリカで挑戦したいという強い気持ちを持っていたテーブス選手でしたが、簡単に留学を認めてもらえたわけではありませんでした。
高1のときにアメリカへの留学を父親に相談するも断られ、高2のときに再び相談しようやく留学を認めてもらったとのことです。
父親がプレップスクールのコーチに連絡し、テーブス選手のハイライト動画を送ってくれて、そのなかで唯一、ブリッジトンアカデミーが返事がありました。
奨学金をもらうためにトライアウトを受け見事合格し、ブリッジトンアカデミー・プレップスクールに入学しています。
アメリカ留学!アメリカでの高校は?
アメリカにきて最初に入った学校はメイン州にあるブリッジトン・アカデミー・プレップスクールです。
1年間プレイしてシーズン後にノースフィールド・マウント・ハーモン校のコーチに勧誘されました。
勧誘を受けたノースフィールド・マウント・ハーモン校は同じカンファレンスに所属する強豪で試合で戦うたびにレベルの高さをテーブス選手は痛感してそうです。
移籍をすることで試合に出られないのではないかと決断することに悩んだようですが更なるステップアップのために転校することを決めています。
アメリカにきてからの2年目のシーズンの終わりには、まだディビジョンIの大学からの奨学金のオファーは届いていませんでした。
渡米前の父親との約束でディビジョンIの大学から奨学金のオファーがなければ日本に帰国することになっていたので精神的にプレッシャーがかかっていたそうです。
夏のオフシーズンに開催されるエリートキャンプがあって、各ディビジョンIの大学がトライアウトのようなものを開く機会があり、その時期にはクラブの一員となりAAU(アマチュアスポーツ連合)に所属して大会などに出場していました。
テーブス選手が所属するクラブはレベルが高くて普段はあまりプレイタイムをもらえていませんでしたが、スタメンのポイントガードの選手が怪我をしてしまい次の試合でスタメンで出場することになりました。
その試合で活躍しアピールするとその日のうちに電話がきてノースカロライナ大学ウィルミントン校から最初のオファーが届きました。
1つ目のオファーを受けるまでが難しいのですが、ノースカロライナ大学ウィルミントン校から1つ目のオファーが来てからは、1週間で次々と複数のオファーを受けることとなりました。
最終的には渡米後2年余りで6つのディビジョンIの大学からオファーをもらうことになり、最終学年のシーズンが始まる前に大学への進学先が決まりました。
大学はどこ?ディビジョンIで大活躍!
テーブス選手はオファーを受けた6つのNCAAディビジョンIの大学の中からノースカロライナ大学ウィルミントン校への進学をきめています。
ノースカロライナ大学ウィルミントン校を選んだ理由として、コーチを含め環境が良かったこととオファーを受けたほかの大学よりプレイタイムがもらえると思ったことをあげています。
しかしシーズン開幕戦からポイントガードとして先発出場するとは思ってもいなかったそうです。
1年生でポイントガードとして開幕戦からスタメン起用されるなんてよほどコーチから期待されていたことがうかがえますね。
開幕からスタメンで出続けて、NCAAディビジョンI全体で2位となる平均7.7アシストという数字を残しました。
この記録は現在NBAで活躍するジャ・モラントに次ぐ全米2位の成績でした。
日本へ帰国、なぜ帰国した?Bリーグの宇都宮ブレックスに入団!
昨年夏には日本代表としてジョーンズカップに出場した経験を糧に、大学での2年目のシーズンでさらなる飛躍が期待されていましたが2年目のシーズンが終了する前にチームから離れるという決断をしました。
1年目のシーズンで活躍して自信を深めたテーブス選手は、チームのなかなか勝てない状況もあり、2年目のシーズンで物足りなさも感じ、自分のバスケットボールにおける成長を考え、環境を変える決断をします。
そしてテーブス選手はシーズンが終了する前の12月23日にチームから離れることを発表しました。
シーズン終了まで待たなかったのは、転校すると1年間試合に出られないというNCAAの規定を考慮したからです。
奨学金のオファーをしてきたほかのディビジョンIの大学に転校するのか、日本に帰国してBリーグのチームに入団するのか選択肢がいくつかあった中で、悩んだ末に決断したのはBリーグの強豪、宇都宮ブレックスへの入団でした。
NCAAの大学はカンファレンスやチームによってレベルの差が激しく、Bリーグでプレイする方が日本代表で活躍するというテーブス選手の目標の1つに近づけるといったことがBリーグ入りを決断した大きな理由です。
Bリーグのチームに行くと決めてからは宇都宮ブレックスしかないと思っていたそうで決断するのに迷いはなかったとのことです。
テーブス選手は2020年1月に特別指定選手として宇都宮ブレックスに加入しています。
宇都宮ブレックスには3シーズン在籍しました。
宇都宮ブレックスは優勝を争う強豪チームで、1年目のシーズンでは平均出場時間約10分、2年目は16分、3年目は18分と出場時間にはあまり恵まれていませんでした。
宇都宮ブレックスでは2021‐22シーズンに優勝を経験し個人では20‐21シーズンに最優秀新人賞を獲得しています。
宇都宮ブレックスから滋賀レイクスに移籍!滋賀に移籍した理由は?
Bリーグ4年目となるシーズン前に宇都宮ブレックスから滋賀レイクスに移籍しました。
宇都宮ブレックスや日本代表活動を通して学んできたことをたっぷりと出せるような環境、周りの選手に学んできたことを共有するような役割を果たしたいという理由から、若い選手が多く在籍する滋賀レイクスに移籍したということです。
自分がチームを引っ張っていくという強い決意や責任感が伝わってきますね。
滋賀レイクスでは12月4日に行われたレバンガ北海道戦で右足腓腹筋の肉離れの怪我をして1カ月ほどの離脱がありましたが、出場した48試合すべてでスタメン出場を果たし、1試合平均12.4得点、3.7リバウンド、6.9アシストの成績を残しています。
しかしチームは14勝46敗でB1西地区8チーム中最下位、リーグ全体では24チーム中23位という不本意な結果に終わり、B2降格という結果になってしまいました。
シーズン後にテーブス選手は滋賀レイクスとの選手契約を双方合意の上で解除しています。
滋賀には有望な若手選手も多く、テーブス選手がリーダーとしてチームを引っ張っていく姿を見たいという気持ちが個人的にはありましたが、移籍先がどこになるのか注目です。
アルバルク東京へ移籍!
テーブス選手は2022‐23シーズン終了後に滋賀レイクスからアルバルク東京に移籍することが発表されました。
アルバルク東京は優勝を狙えるほどの強豪クラブです。
長年アルバルク東京の顔であった田中選手が移籍することになりましたが、日本代表選手であるテーブス選手の加入はアルバルク東京にとって大きな戦力アップとなると思います。
アルバルク東京でどんなプレイを見せてくれるのか楽しみです。
まとめ
テーブス選手が日本代表になるまでの経歴についてまとめてみました。
環境を変えるということはうまくいっていればいるほど決断するのが難しいと思うのですが、テーブス選手は更なる成長を求め、次々と新たな環境に飛び込み挑戦を繰り返していたことがとても印象的でした。
テーブス選手は英語も話せて海外でのプレイ経験もあるので、また海外でプレイすることもあるかもしれません。
今後のBリーグの活躍、そして日本代表での活躍も楽しみですね。