バスケを始めてわずか数年で日本代表になったシェーファーアヴィ幸樹選手。
急激な成長と恵まれた身体を活かしたフィジカルなプレイでリアル桜木花道とも呼ばれることがあるシェーファー選手ですが、どのような経歴をたどり日本代表に選ばれるような選手になったのでしょうか。
この記事ではシェーファー選手の日本代表になるまでの経歴について紹介していきます。
目次
シェーファーアヴィ幸樹のプロフィール!筋肉が凄い?
シェーファーアヴィ幸樹のプロフィール
出身地:兵庫県西宮市
生年月日:1998年1月28日
身長:206cm
体重:106kg
ポジション:C/PF
経歴:セント・メリーズ・インターナショナルスクール→ジョージア工科大学→アルバルク東京(2018‐19)→滋賀レイクスターズ(2019‐20)→シーホース三河(2020‐21~現在)
Bリーグ受賞歴:新人賞ベストファイブ
シェーファー選手はバスケだけでなく頭もよく、アメリカでもトップレベルのジョージア工科大学で学んでいました。
バスケも勉強もできるシェーファー選手ですが、ゲームをするのが趣味で、ユーチューブでライブ配信することもあるようです。
家族?兄弟は?
シェーファー選手はアメリカ人の父と日本人の母との間に生まれました。3歳上の兄と2歳下の弟の3人兄弟です。
父親の身長は186cm、兄は188cm、弟は191cmと家族みな身長が高いです。家族の中で最も身長が高いのはシェーファー選手で206cmです。
家族で仲が良く、シェーファー選手は尊敬する人を両親というふうにいっています。
家族でシェーファー選手の試合の応援に行っているそうで、いま所属している三河の試合会場に行けばご家族の方と会えるかもしれませんね。
ファンの間ではよく知られている存在になっていて写真撮影にも気軽に応じてくださるそうです。
筋肉が凄い?
シェーファー選手が自身の武器をフィジカルだというようにトレーニングには力を入れているようです。
シーズン中にもどんなにスケジュールがきついときでも必ず1週間に1回はするように心がけているとのことです。
身長206cm、体重106kgで日本人離れした体格で、ユニフォームから見える上腕は筋骨隆々でしっかりと鍛えられているのがよくわかります。
スポーツ選手だから当たり前といったら当たり前かもしれませんが、食事や睡眠を大事にしていて、体脂肪にも気を使っているとのことです。
シェーファーアヴィ幸樹の小学校、中学校、高校はどこ?
シェーファー選手は神戸大学附属住吉小学校、神戸大学附属中等教育学校出身です。
中学校3年生までは兵庫の中学校にいましたが中学3年生の夏に東京にあるセント・メリーズ・インターナショナルスクールに転校しました。そこからはアメリカに留学するまでインターナショナルスクールに所属していました。
もともとバスケをアメリカでやりたいというよりもアメリカの大学で勉強をしたいという気持ちで、留学することを目的にインターナショナルスクールに入ったそうです。
バスケを始める前はサッカーをしてたって本当?
バスケを始める前は元サッカー日本代表の香川真司選手がプレイしていたセンアーノ神戸というユースチームでプレイしていてサッカー時代はフォワードのポジションをしていました。
子供のころの将来の夢はサッカー選手だったそうです。
両親が子供には音楽、武道関係、スポーツの習い事を必ずさせたいという思いがあったためシェーファー選手は、サッカーのほかにもタッチフットボールやフラッグフットボール、水泳、日本拳法、音楽ではドラムといったさまざまな習い事をやっていました。
子供のころから様々な習い事を楽しんでいたようです。
習い事の中でも日本拳法をやっていたのが一番長く、毎年全国大会に出場して中学生2年と3年のときには全国大会で3位の成績をおさめています。
バスケを始めたのは高校の時?きっかけは?
バスケを始めたのはなんと高校2年生のときとのことです。
高校1年生のときまでサッカーをしていたそうですが、試合があまり多くなくてつまらないと感じるようになり、高校の部活動がシーズン制だったためサッカーのオフシーズンに学校の友達とバスケをして遊ぶようになり気づいたら入っていたそうです。
身長が2mあったということもあって、バスケ部の友達や先輩などいろいろな人から勧誘されたのがバスケを始めたきっかけとのことです。
それまではバスケにあまり触れる機会がありませんでしたが、中学3年生のときに仲良くなった友達がNBAが好きでシェーファー選手も見るようになりました。ただバスケは休み時間に友達と一緒に遊ぶくらいだったそうです。
友達はクリッパーズファンでシェーファー選手もクリッパーズファンになり、ブレイク・グリフィンが好きだったとのことです。
私もクリッパーズの試合をよく見ていたのですが、あのころのクリッパーズは凄かったです。クリスポールのパスからグリフィン、ジョーダンのアリウープダンクはやばかったですね。
シェーファーアヴィ幸樹、名門ジョージア工科大学出身って本当?
シェーファー選手は、プレップスクールであるブルースター・アカデミーを経てNCAAディビジョンIのジョージア工科大学に進学しています。
バスケで数々のNBA選手を輩出するような大学で、学業でも全米トップレベルのジョージア工科大学でシェーファー選手は物理専攻で勉強が大変だったそうです。
ジョージア工科大学出身のNBA選手といえば、クリス・ボッシュが有名だと思います。
またシェーファー選手とジョージア工科大学でともにプレイしていた選手3人がNBAでプレイ経験があります。
ホセ・アルバラード選手とジョシュ・オコーギー選手は現在もNBAのニューオーリンズ・ペリカンズとフェニックス・サンズでそれぞれプレイしています。
シェーファーアヴィ幸樹の日本代表になるまでの経緯!バスケ歴は何年で日本代表?
U‐18日本代表に選ばれる!
シェーファー選手は高校生のときにはインターナショナルスクールに所属していたためウインターカップといった全国大会に出場することはありませんでした。
全国大会での経験がないシェーファー選手が日本代表に呼ばれることになったきっかけはオフシーズンに行われたシェーファー選手が所属していたクラブとU-16日本代表の練習試合です。
その試合で代表コーチの目に留まり、高校3年生の冬にU-18日本代表に初めてよばれることになりました。
高校2年生のときにバスケを始めてから、1年ちょっとで世代別の日本代表に選ばれています。
U‐18日本代表での国際試合の経験、バスケへの思いが高まる!
シェーファー選手がもっとバスケで上を目指そうと思ったきっかけに挙げているのがU-18の日本代表としてドイツで開催されたアルバート・シュバイツァー・トーナメントで世界の強豪と試合をした経験です。
ディビジョンIの大学に入るような選手で構成されたアメリカやセルビア、アルゼンチンなどの代表と戦いました。
シェーファー選手にとっては初めての国際大会でしたが、シェーファー選手自身としては手ごたえがあって、アメリカ相手でも自分のバスケはできた、ディビジョンIでもできるかもという感覚になり、もっとバスケで上を目指したいという思いが強くなったそうです。
シェーファー選手は、もともとバスケは二の次でアメリカで勉強するためにディビジョンⅢの学業中心の物理系の大学を探していましたが、U-18日本代表での経験を通してブリュースターアカデミーへ進学しています。
ブリュースターアカデミーはプレップスクールの強豪校でシェーファー選手が在籍したシーズンでは33勝0敗で全米1位の成績を残しました。
ジョージア工科大学に進学
ブリュースターアカデミーは強豪ということもありプレイタイムはあまりもらえませんでしたが、練習から多くの大学関係者がみにきていて、NCAAディビジョンIのジョージア工科大学から声がかかりました。
八村塁選手や渡邊雄太選手のようにNCAAディビジョンIでプレイする選手はリクルートされて奨学金をもらってプレイすることが多いですが、シェーファー選手はウォークオンといって奨学金をもらって大学でプレイしているわけではありませんでした。
そのためウォークオンの選手は試合に出られるチャンスが少なく、シェーファー選手も試合にはほとんど出ることができませんでした。
Bリーグのアルバルク東京に入団
試合に出られない日々が続く中、日本に戻ってBリーグ入りするという大きな決断を下しました。
ジョージア工科大学でプレイしていたのは1年半ほどです。
シェーファー選手が日本のBリーグ入りを決断した理由には、自国開催の東京五輪に出るチャンスがあったことが大きかったようです。
バスケを始めてから約4年でプロ入りしています。
アルバルク東京から滋賀レイクスターズそしてシーホース三河へ
強豪アルバルク東京での1年目のシーズンはほとんど出場時間はありませんでしたが、チームは優勝しています。
2年目のシーズンでは出場機会を得るために期限付き移籍で滋賀レイクスターズに加入しました。滋賀で1シーズン過ごした後、さらなる出場時間を得るため滋賀からシーホース三河へと移籍しています。
滋賀レイクスターズでの2019‐20シーズンには前田悟、河村勇輝選手らとともに新人賞ベストファイブに選ばれています。
プロ入り後2年間は3ポイントシュートの試投数は1本でしたが、三河に移籍してからはシーズンの3ポイントシュートの試投数が100本を超え、アウトサイドでのプレイを増やしています。
日本代表デビューはいつ?
U19W杯後のジョージア工科大学への進学の前にA代表の合宿に呼ばれています。
このときは短期間の練習参加というものでしたが、バスケ歴3年ほどでA代表の練習に参加するなんてすごいですね。
その後ジョージア工科大学での1年目のシーズン後に再び代表合宿に招集され、シェーファー選手の日本代表デビュー戦はバスケットボール男子日本代表国際強化試合2018韓国代表戦となりました。
韓国戦では2分52秒出場しました。
その後も継続的に代表に呼ばれていて東京オリンピックやFIFAワールドカップ2019にも出場を果たしています。
まとめ
シェーファーアヴィ幸樹選手は2mを超える恵まれた体格を武器に、バスケットボールを始めてからわずか数年で急激な成長を遂げ日本代表に選ばれる選手になりました。
日本代表になるまでの経歴について振り返ってきましたが、学力が高いこと、子供のときから様々なスポーツ、音楽といった経験をしてきたのが大きいのかもしれませんね。
3月26日の試合中に右膝前十字靭帯断裂という大けがをしてしまい、今夏にあるFIBAバスケットボールワールドカップ2023への出場は厳しいものとなってしまったのは残念ですが、今後の日本代表を引っ張っていくひとりであると思います。
再びコートで元気な姿を見れる日が楽しみです。