アンダーカテゴリーの日本代表に選ばれたことはなく、30代となって初めてA代表に選ばれることになった須田侑太郎選手。
トム・ホーバスHCの目に留まり、30代で初めて日本代表選出となりました。
アンダーカテゴリーでの日本代表の経験がなく、世代トップのプレイヤーとして知られていたわけではなかった須田選手をあまりよく知らないという人も多いかと思います。
どのようなキャリアを積んで日本代表に選ばれ、代表で活躍する選手にまでなったのでしょうか。
須田選手の日本代表になるまでの経歴と活躍について紹介していきます。
目次
須田侑太郎ってどこ出身?身長は?
出身地:北海道
身長:190cm
体重:87kg
生年月日:1992年1月3日
ポジション:SG/SF
経歴:東海大学付属第四高等学校(現・東海大学付属札幌高等学校)→東海大学→リンク栃木ブレックス(NBL:2014‐15~2015‐16)、宇都宮ブレックス(2016‐17)→琉球ゴールデンキングス(2017‐18~2018‐19)→アルバルク東京(2019‐20~2020‐21)→名古屋ドルフィンズ(2021‐22~)
須田選手はディフェンスと高い打点から放たれる3ポイントシュートが武器の選手です。
190cmの身体にしては細身に見えますが、ベンチプレスはチームでNO.1だと思っているそうでパワーには自信があるようです。
試合中にも身体の大きな選手に当たり負け、競り負けない姿が見られますし、フィジカルの強さはそうとうのものだと思われます。
弟もバスケ選手?
須田選手には3歳下の弟がいて、弟の昂太郎選手もバスケットボール選手として活躍しました。
弟の昂太郎選手は兄と同じ東海大学付属第四高等学校を卒業して、大学は白鴎大学に進学しました。
白鴎大学4年生のときにはキャプテンとしてチームをまとめています。
ポジションは兄と同じSGです。
昂太郎選手は、リンク栃木ブレックス(現宇都宮ブレックス)や茨城ロボッツ、金沢武士団でプレイしました。
昂太郎選手が特別指定選手として宇都宮ブレックスに加入した年に須田選手が琉球ゴールデンキングスに移籍してしまったので同じチームで兄弟でプレイすることは惜しくもかないませんでした。
結婚はしているの?奥さんは誰?
個人ファンクラブを設立していて、女性からの人気も高い須田選手ですが、結婚はしているのでしょうか。
須田選手は、2021年8月11日にSNSで結婚したことを発表しています。
イケメンな須田選手の奥さんがどのような方なのか、気になるところですが公表はされていません。
小学校はどこ?バスケを始めたきっかけは?
須田選手が通っていた小学校は上野幌東小学校です。
須田選手は、小学校のときに好きだった男の先生がきっかけでミニバスケットボール少年団があることを知って、興味をもって行くようになりそのままはまってしまったとのことです。
バスケを始めたのは小学校3年生のときです。
須田選手の家の前にはバスケットゴールがたててあって、休みのときや練習から帰ってきたあとに暇さえあればシュートを打っていて、バスケ漬けの生活をおくっていたそうです。
須田選手は小学校のころに仰向けに寝転んだ状態から、シュートを打つように真上にボールをスナップを利かせて投げあげる練習を毎日150回から200回やっていたとのことです。
毎日、家でシュートの練習をしてシュートのリリースの感覚を養っていたなんてすごいですね。
須田選手は、バスケを始めた小学校3年生のときからいままでバスケット漬けの毎日をおくっているとのことですが、須田選手の経歴から考えると日々こつこつと積み上げることの大切さが身に染みてわかります。
中学校はどこ?
須田選手の中学校は、地元、北海道の東海大学付属第四高等学校中等部です。
所属していたミニバスケットボールチームは北海道内では強いチームで、その時の1つ上の先輩が東海大学付属第四中学校に進学するということで強くなるだろうと思ったこと、ミニバスのコーチのすすめなどもあったことで中学受験をして進学するのを決めたとのことです。
ミニバスの仲間と一緒にやりたいという気持ちを抱えながらも地元とは少し離れた中学校への進学を決断しています。
須田選手は、大学は東海大学に進学していますが、東海大学付属第四中学校を進学することを決めた理由として、東海大学に入りたいからといったことは全く考えていなかったそうです。
中学校のときの実績は?
須田選手が中学生だったときにどのようなプレイヤーだったのか気になる人は多いと思います。
須田選手は2年生と3年生のときに全中に出場しました。
3年生のときはチームのキャプテンとして全中に出場して準優勝しています。
ジュニアオールスターという都道府県の代表選手が出場する大会がありますが、中学時代の須田選手は、北海道代表に選ばれたことはありませんでした。
日本代表に選ばれるような選手は、中学生、高校生のときからアンダーカテゴリーの日本代表に選ばれていた選手が多いですが、30代になってから初めてA代表に選ばれた須田選手は珍しいタイプの選手ですね。
高校はどこ?インターハイ、ウインターカップの成績は?
高校はプロ選手を多数輩出している北海道の強豪、東海大学付属第四高等学校に進学しています。
須田選手は、高校1年生のときと2年生のときのインターハイ、高校2年生のときのウインターカップ、高校3年生のときのウインターカップに出場しました。
しかし全国大会ではほとんど勝ち上がることができませんでした。
同学年にはBリーガーの西川貴之選手がいてともに主力選手として活躍しました。
高校1年生のときのインターハイでは1回戦で岐阜農林に105対51で勝ちましたが、2回戦では湘南工大付に101対95で敗れ、2回戦敗退。
2年生のときのインターハイは1回戦で取手松陽に90対80で勝利しましたが、2回戦で新潟商業に100対84で敗れています。
2年生のときのウインターカップは1回戦で前橋育英に91ー63で勝ち、2回戦で県立能代工業と対戦しましたが94ー97で敗れました。
1回戦は16得点、2回戦でも16得点と二桁得点を記録しています。
高校3年生のときにはチームのキャプテンとして引っ張りましたが、インターハイは北海道予選のベスト8で敗れ、全国大会出場を逃しました。
ウインターカップ2年連続出場となった、3年生のときのウインターカップでは1回戦で栃木の文星芸術大学附属高等学校と対戦しました。
その試合では、須田選手は35得点、9リバウンド、3アシスト、2スティール、2ブロックと活躍しましたが90対89で惜しくも敗れてしまいました。
高校3年間、須田選手は主力として活躍して全国大会にも複数回出場しましたが、全国で好成績は残せませんでした。
大学はどこ?
須田選手は大学バスケの強豪、東海大学に進学しています。東海大学では長年、日本代表を引っ張ってきた田中大貴選手が同級生にいました。
3年生と4年生のときのインカレで優勝、4年生のときのインカレでは優秀選手賞を獲得しました。
4年生のときのインカレの決勝では、高校時代のチームメイトであった西川貴之選手と決勝戦で対戦して73対54で東海大学が明治大学をやぶり優勝しました。
4年生のときの天皇杯全日本総合バスケットボール選手権大会ではベスト8に入っています。
当時の篠山選手や辻選手、ファジーカス選手率いる東芝ブレイブサンダース神奈川に88ー65で敗れてしまいました。
東海大学を卒業後、リンク栃木ブレックス(現・宇都宮ブレックス)に入団
須田選手は、東海大学を卒業後にリンク栃木ブレックス(現・宇都宮ブレックス)に加入しました。須田選手は、リーグ登録はされるけれど、ベンチ登録はされないインアクティブ契約を結んで入団しました。
インアクティブ契約とは、練習でのプレイを見てチームがベンチ登録をおこなえば、試合に出場することができるようになるというものです。
須田選手はインアクティブ契約でしたが、2014‐15シーズンは23試合に途中出場、合計78分のプレイタイムをもらい44得点の成績を残しました。
その後2015‐16シーズンはリンク栃木ブレックスと本契約を結んでいます。
宇都宮ブレックス~琉球ゴールデンキングス~アルバルク東京
Bリーグ初年度となった2016‐17シーズンには宇都宮ブレックスでリーグ優勝を経験しています。
2017年には琉球ゴールデンキングスへ移籍して2シーズン過ごし、その後アルバルク東京で2シーズンプレイしました。
琉球ゴールデンキングスに在籍していた2シーズンはスタメン出場が26試合、17試合ありましたが、ほとんどの試合で途中から出場しています。
名古屋に移籍して最初のシーズンは29.3%と数字を落としましたが、宇都宮ブレックスに所属いたときから年々3ポイントシュートの成功率が高まっていて、アルバルク東京に在籍していた2シーズンでは、44.3%、44.0%とハイアベレージを残しました。
3ポイント成功率がおよそ45%なんて驚異的な数字ですね。
名古屋ドルフィンズへ
名古屋での2シーズンはフィールドゴール成功率、3ポイント成功率ともにアルバルク東京時代と比べて数字を落としていますが、おもにシックスマンとして流れを変える貴重な働きを見せています。
最近はスタメンでの起用が続いています。
名古屋での最初のシーズン、開幕戦となったサンロッカーズ渋谷との対戦では、スタメンとして出場してBリーグでのキャリアハイ、3ポイントシュート5本を含む20得点、6リバウンド、2アシストという大活躍でした。
日本代表での活躍は?
須田選手のこれまでのBリーグのキャリアハイが2021年10月2日のサンロッカーズ渋谷戦で記録した20得点、3ポイントシュート成功数は5本が最多でした。
日本代表として臨んだFIBAアジアカップ2022シリア戦ではなんと9本の3ポイントを含む33得点をあげました。
117対56でシリアに大勝したこの試合での須田選手の3ポイントシュートはとくにすごかったですね。
特に第2Qはわずか6分24秒の出場で24得点を記録しました。
その後も継続して日本代表メンバーに選ばれ、試合に出場しています。
まとめ
須田選手は中学、高校と全国大会に出場し、高校では北海道の国体メンバーにも選ばれましたが、アンダーカテゴリーの日本代表に選ばれたことはなく世代トップの選手として知られていたわけではありません。
30代となって初めてA代表に選出され、日本代表に定着し活躍を続けています。
今夏のFIBAワールドカップ2023の日本代表メンバーには外れてしまいましたが、その後の日本代表に選出され活躍が期待されています。
今後の日本代表、Bリーグでのさらなる活躍が楽しみです。